![]() 大嶋氏スケッチ1 |
![]() 大嶋氏スケッチ2 |
![]() 1989春 宮内力氏との再会 |
![]() 1989秋 弘前大使を拝命 |
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![]() 1999夏 最上氏弘前へ |
![]() 2000夏 後藤副首相ご夫妻来弘 |
![]() 2002夏 宮内首相 専用機で青森空港へ |
![]() 2008春 後藤副首相と山下郵政大臣来弘 |
![]() 2013春 寂惝苑 |
![]() 2021夏 山下氏・最上氏と青森満喫[リンク] |
![]() 2022夏 山下氏・最上氏と青森満喫[リンク] |
![]() 2023夏 山下氏・最上氏と山形満喫[リンク] |
宮内さんは自らを「宮内寂惝」と名乗るとともに、山小屋を「寂惝苑」と命名、小屋から滝子山の山頂に続く尾根を「寂惝尾根」と命名しました。この「寂惝」について、宮内さんは以下のように書いています。
--- 「小屋の名」の由来 ---色々考えたのですが、なかなかピンとこなくて2年も名前をつけませんでした。もう少し若いとシャレタ横文字にしたいところですが、歳とってから恥ずかしいといけないので「五十路」の心境で命名しました。広島の詩人「大木惇夫」氏の「寂身惝憬」から二字をもらい「寂惝苑」とつけてみました。「惝」の意味は薄暗い、物静か等の意で「身も心も衰えていく自分だが、自然に逆らうことなく生きていきたい」との意味であろうか。 やはり山小屋は静かに己にたいする場所にしたいのです。でも、たまには酒の力を借りて、はめをはずす場所になっても良いと思います。 昭和53年盛夏
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実は私の母校である山形県立酒田東高等学校の校歌の作詞が大木惇夫です。「最上の流れに~」。
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