絵で見る青森りんごの歴史

このページは青森県農林部りんご課が制作した「AOMORI APPLE」に掲載されている絵を利用して作成しました。

明治8年

 政府から青森県の県庁にりんごの苗木(なえぎ)3本が送られる

明治32年

 青森の果実商 堀内喜代治氏がロシアのウラジオストック港へ直輸出

昭和23年

 県庁にりんご課ができる。
東京・大阪・門司に青森県の事務所ができる。

昭和38年

 県りんごの生産高は、史上最高の3,437万箱。

昭和43年

 国光・紅玉などのねだんが大はばに下がり、山や川に大量にすてられる。品種改良が進む。

昭和46年

 りんごのわい化栽培を進める。
 (木が小さく作業がしやすい。)

昭和49年

 青森りんご百年記念式典を行う。

昭和50年

 県庁構内に記念碑を建てる。

平成3年

 台風19号により、これまでにない大きな被害を受けた。(約741億円)


このページは1998年に天内純一氏が作成したものです。
レイアウトを若干調整しました(koyama88@cameo.plala.or.jp)