「お父さん、弘前で二番目に広い公園てどこだか知ってる?」
夕食の時のジュンちゃんの質問に、家族のみんなが首をかしげた。
「弘前公園が一番なのはわかるけど・・」
お母さんはけんとうがつかない。
「三岳公園かな、長四郎公園かな、それとも小連体をやる運動公園もそうかな?」
さすがに、お姉さんのユミちゃんは六年生。弘前にある公園をいろいろ知っている。
「正解は大仏公園です。」
ジュンちゃんが得意そうに答えると、
「えっ、そんな公園あったかな」
と、首をかしげるお父さんだったが、すぐ弘前の地図をさがして調べ始めた。石川の駅の近くだそうだというジュンちゃんの話をもとに、お父さんはやっと大仏公園をさがしあてた。
「こりゃ一度みておく必要があるな」
お父さんは、大仏公園に興味をもったようだ。
「そういえばたしか津軽為信が攻めた城の名前が石川城だったかな?・・・」
お姉さんのユミちゃんも、社会科で歴史を勉強しているので、大仏公園には興味を持ったらしい。
日曜日。ジュンちゃん一家は、車で大仏公園へと出かけた。
大仏公園は石川小学校の学区にある。旧国道7号線を走り、平川の手前を右にまがる。「大仏もち」のお店やさんがあったり、公園の案内板があったりするのだが、うっかりすると通りすぎてしまうくらいわかりにくい。
ようやくめざす大仏公園にたどりついたジュンちゃんたち。説明の看板を読むといろいろなことがわかってきた。ここはかなり古い時代に城がつくられたようで城主の名前がはっきりするのは鎌倉時代の曽我氏である。その後、南部氏が津軽一帯を支配するようになり、石川は津軽の中心地のような役割を果たしたのである。
「ヘぇー、今から五百年くらい前には今の弘前城がある所よりここの石川の方がずっと開けていたんだね。」
ユミちゃんがびっくりして言った。
「津軽為信の奇襲攻撃で落城してから石川は衰えたんだね。弘前城を造る時、城の資材として全部運び去ってしまったそうだからさびしいところになってしまった」
お父さんも感心したようにうなずいていた。
「お父さん、お母さん、こっちこっち」
高台の方からジュンちゃんの元気な声が響いてきた。
三の丸、二の丸跡から三十三観音が立ち並んでいる中を一気に通りぬけ、ジュンちゃんの声がする本丸跡の一番高いところにたどり着く頃にはもうみんなぐったり。でも、ジュンちゃんが指差す方を見てをびっくり。東の方は崖になっていて、はるか下を平川が流れている。西の方には津軽平野の一部がきれいに一望できる。
「弘前公園とは全然ちがうね。戦いに備えた城だったら、やっぱりこんな所でないとおかしいと思っていたのよ。」
お姉さんのユミちゃんが言った。
「そうだね。こんな高い場所に城があったから津軽為信も計略をつかって攻めたんだね。」
今日は遠足をかねた楽しい探険になった。
「鯵ヶ沢町にある光信公の館というのも見に行きたいな。」
ジュンちゃんは次の探険をとても楽しみにしている。