平賀町の史跡

陸奥新報NIEに掲載したものを一部改訂して載せました。

 五月になってジュンちゃんの学級では、古墳時代の勉強が始まっている。

 校庭を使って仁徳天皇陵(大山古墳)の大きさを調べたりしながら勉強するのがとても面白い。でも、社会科の一番の楽しみは何と言っても探険だ。春休みや四・五月の連休を利用して、いろいろな史跡を見てまわったジュンちゃんが次の探険に選んだところは・・・・

日本一遺跡の多い町?

 お父さんの部屋にある「津軽の人物伝承」という本に、平賀町は日本一史跡が多い町だと書いてあった。

 地図で調べてみると平賀町は弘前市のとなりの町であるが、なんと十和田湖の方まで続いていることがわかった。石郷遺跡・沖館城跡渾神(いがみ)の清水・小国城跡・広船神社・曽我氏の板碑・・・地図にもたくさんの史跡がのっていた。

 たくさんある中から、ジュンちゃん次のようなコースを選んでみた。

 三重の塔は平賀駅の裏手にあった。津軽藩の初代の殿様津軽為信(つがるためのぶ)が娘の冥福(めいふく)を祈って建てたものだそうだ。今は礎石(そせき)が残っているだけだった。

 三重の塔から大光寺城跡まではお父さんの車で二、三分。大変古くからあった城で、津軽の歴史と深くかかわってきたようだ。津軽為信が津軽を統一した時に大光寺城の武士たは戦いに敗れて滅んだ。

 石垣の石や城門は弘前に運ばれて弘前城を造るのに使われたということだ。亀甲門が昔平賀町にあったということがわかって、びっくりするジュンちゃんであった。

新屋館・尾崎城跡探険

 平賀アップルランドの前の道を進んでいくと、やがて平賀東小学校が見えてくる。新谷館や尾崎城の史跡があるのはこのあたりだ。

 白岩公園が近くにできてからアスレチックや,登山ができるようになったということだ。

新屋八幡宮・尾崎城跡

 平賀東小学校のあやのちゃんとかおりちゃんが、自転車で新屋館のある場所を教えてくれた。公民館の向かいに新屋館の古い木柱が立っている。字が見えなくなっているけど、一生懸命頑張って読んでみた。新屋城の殿様は千九百石も持っていたこと尾上町の金屋・田中も領地になっていたのがわかった。

 この城跡に新屋全体がすっぽり入っているような気がするくらい、高台になっていた。また、近くにある新屋八幡宮は参道が立派で歴史を感じさせる神社だった。あやかさんの話によると、宵宮の時にはたくさんの人がやってきて夜店も十以上も出るということだった。

石碑が立つ尾崎城跡

 黒い立派な石碑が建てられていて、当時がしのばれる。

「今から450年前、尾崎三郎左エ門が築いたもので・・・村とともに栄えた。・・・・・・津軽為信にほろぼされた・・・。」



このページは2000年頃に天内純一氏が作成したものです。
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