ひさちゃんの探検!弘前 津軽ふるさと館

悪戸・津軽ふるさと館

 「弘前市の中でまだ誰も探険に行ってない所はと・・・?」観光や史跡のパンフレットを見ながら、じっと考え込んでいるヒサちゃん。 六年生のヒサちゃんの学級では、先生が熱心に「弘前探険」をすすめているので、みんないろいろな所に出かけているのである。

 弘前市にある史跡は、ほとんど誰かが探険しているようだ。これまで訪ねた史跡の写真をノートにはってきれいな探険記録を作っている人も多い。

「まだ誰も行ってない 所はないかなぁー」
目立ちたがり屋のヒサちゃんとしては、学級のだれも探険していない所に行きたい。

 ついにお父さんの本まで持ち出して、弘前の名所調べを始めたヒサちゃんが見つけたのは・・・。

津軽ふるさと館!

 これまでに聞いたことのない名前である。友達の間でも話題になったことがない所だ。説明をよんでみると、

と書いてある。ともかく歴史に関係のあるものが展示されているらしい。ヒサちゃんはお父さんに頼み込んで、休みの日につがるふるさと館に連れて行ってもらうことにした。茂森を越え常盤坂を下る。悪戸東口というバス停を過ぎて間もなく、津軽ふるさと館の看板がある。その看板を頼りにしばらくいくと、何やら小高いりんご畑の中に土蔵が見える。これが目指す津軽ふるさと館である。

池田源兵衛の御菓子 五重


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 八十才を過ぎたという品川館長が、重々しい土蔵の扉を開ける。中にもう一枚がんじょうな引き戸がある。この土蔵は青森にあったものをわざわざここに移したものらしい。ヒバの太い柱を何本も使ったととても珍しいつくりになっている。

 館内に入ると、江戸時代の頃の古い津軽塗がいくつか並べられている。それらが五年生の伝統工業を勉強した「池田源兵衛」のつくったものであることがわかってヒサちゃんは驚いてしまった。津軽塗の四段重・たばこ盆、また、波の模様が出ている「青海波大卓」もあった。

 この模様は源兵衛独特のもので、秘法であったらしい。津軽藩の殿様が使ったものをそのまま展示してあるところがすごい。小学生のヒサちゃんには難しいお話もあったが、品川さんがとても熱心に説明して下さったのでよくわかった。江戸時代に造られた大沢焼、悪戸焼の陶磁器、また、秩父宮(ちちぶのみや)様に献上した青貝細工(ラデン)の下駄など非常に貴重なものがあった。郷土の歴史を研究した松野武雄は、その他にも貴重な古文書や絵巻物など数千点を集めていたそうである。

 館長の品川さんは昔新聞社に勤めていて松野武雄と知り合い、松野さんが亡くなってからは、そのコレクションをしっかり受け継いでおられるということであった。


このページは2000年頃に天内純一氏が作成したものです。
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