「ミドリちゃん達が言っていた貴船神社を探険しよう。」
同じ学級のミサキちゃんは、友達の秀君・圭君・紫織さん・ともみさんと国道7号線の取上陸橋の手前を目標にして貴船神社へと出かけて行った。
貴船神社はすぐにわかった。どこにでもあるような小さな神社だった。でも、案内板を読むと京都に本社があると書いてあったのでびっくりした。京都との関係や日露戦争の石碑などわからないことがいろいろあった。
「ミドリちゃん達が言っていた牛若丸の絵というのもよくわからないわ。」
ミサキちゃん達は、学校でA先生に聞いてみることにした。先生が貴船神社の本社を訪ねて京都まで行ったことがあるとわかって、またまたびっくりしてしまった。
次はA先生のお話からわかったこと。
貴船神社は京都の洛北(らくほく)にある。牛若丸で知られる鞍馬(くらま)寺のある鞍馬山ととなり合わせている。鞍馬寺から山中の道を通って,牛若丸が天ぐから剣術を学んだという「僧正が谷」を過ぎ,貴船川渡ったところに貴船神社はある。
この神社は神武天皇の皇母が水神様をまつったことに始まるという。歴史のある京都の神社の中でも非常に古い方である。水に関係のある神社で、雨が降らないと天皇から貴船神社にお使い(勅使)が出されたということだ。
弘前の場合は、江戸時代に水田も多かったので、雨ごいや止雨のために神社を建てたようである。はじめは今の三岳町に建てられたのである。
貴船神社は全国にはどのくらいあるのだろうか。実際の数は、京都の貴船神社の本社でもわからないのだそうだ。
全国の貴船神社の方が本社にお参りにやってくるので、そこからだいたいの数を予想しているということだ。(弘前市の貴船神社の氏子の方も参拝していた。)
ここには、源平の戦いで有名な源義経(みなもとよしつね)の伝説が残されている。
義経は岩手県の衣川という所で死んだことになっている。しかし、死んだと見せかけて実は秘かに北にのがれたという話が残っている。
青森にやってきた義経は鎌倉幕府の追っ手をうまく逃れて北海道に渡ろうとする。その時青森の貴船神社で海上安全の祈願をしたというのである。
牛若丸といっていた小さい頃に貴船神社によくお参りに行っていたからではないかと思われる。なにしろ「伝説」であるから、本当かどうかはわからない。でも、義経が北海道に渡ったという話はとても面白い。東北地方の人々の中には本気で信じている人もいるようだ。
ミサキちゃんは市の観光パンフレットを見ながら弘前のいろいろな史跡を探険する計画を立てている。