家族で桜祭りに出かけた時のこと。お掘の近くにある裁判所の前で、お姉さんのユミちゃんが大きな石碑を見付けた。立ち止まって読んでみると、大きな字で「明治天皇・・・」と書いてあるのがわかった。「弘前の裁判所と明治天皇とどんな関係があるのかしら?」ユミちゃんが首をかしげたが、お父さんとお母さんもよくわからない。
次の日、近くの追手門広場にある弘前市立図書館に行って調べてみると、びっくりするようなことがわかってきた。
明治五年から十八年までの間になんと六回も各地を巡幸(じゅんこう)されているのである。
ほとんど鉄道が開通していなかったこの時代、馬や人力車、船での旅が中心であった。時には天皇ご自身が歩かれたこともあるというから驚いてしまう。総日数は約三百日、距離を合計すると一万キロメートルをはるかに越えている。
明治天皇は全国をたくさん巡幸することによって、新しい時代がやってきたことを国民に知らせ、文化や技術を発展させて、天皇中心の国づくりをしようと考えたようだ。
明治天皇が弘前に到着されたのが明治十四年九月九日。人々は家ごとに日章旗をかかげたり、日の丸の提灯をつるしたりして、道ばたに敷物をしいてすわって天皇をお迎えした。
この日天皇が宿泊されたのが、武田清七宅である。武田家は弘前でも指折りの豪商だったから、たくさんの費用をかけ行在所を新築した。その建物のあった所が今の大学病院になっている。
ジュンちゃんは、歴史探険をするユミちゃん一緒に自転車で駐車場の出口付近にある「明治天皇行在所跡」を訪ねてみた。ひっそりと目立たない石碑だが明治天皇の巡幸をしっかり伝えるように重々しく立派なものである。九月十日に天皇は弘前裁判所においでになっている。その時の記念碑が裁判所前に建てられているのである。
明治天皇に関係のある史跡は他にもある。ジュンちゃんとユミちゃんは、五重の塔のそばを通り、紙漉町へと向かう。踏み切りを渡り、「富田の清水」を越えたあたりの左手に「御膳水」がある。
この辺りは昔から質のよい清水が沸き出でいて江戸時代頃から紙を作る仕事をした所である。明治天皇が弘前に宿泊された時、ここの水を汲んでお茶にしたり、料理に使ったりしたということである。
主なものだけで四十ヵ所もある。友達の麻記子が住んでいる大鰐町、守久君、裕君が住んでいる黒石市や平賀町にも史跡があるという。ユミちゃんは明治天皇の史跡をたくさん探険して、地図にあらわしてみようと楽しみにしている。