リエちゃんの探険!弘前 聖徳太子堂

聖徳太子について勉強するリエちゃん

「飛鳥時代に関係あるものって、弘前市にあるかな?」
「弘前にある史跡は江戸時代のものが多いんだよ・・・」
「平安時代の菅原道真や坂上田村麿に関係のある神社はあるんだけど・・・」
社会科の時間が終わって、探険の計画を考えているリエちゃんたち四人組である。

 なかなかよい探険場所が見つからない。

 その時、
「この間五重の塔に行った時に、太子堂というのを見たよ」
そばで聞いていたヨシ君たちが言い出した。

 聖徳太子を祀(まつ)っている所が本当に弘前にあるんだろうか。だいたい聖徳太子は神様や仏様のように祀られる方ではない。リエちゃんたちは頭をかしげた。

 6年生の教科書には、推古天皇の摂政として、十七条の憲法をつくったり、冠位十二階定めた。また、隋に使いを送って、大陸の文化を取り入れたと書いてある。

五重の塔へ向かうリエちゃんたち四人組

 五月最後の日曜日。けいちゃん・かえちゃん・ましちゃん・りえちゃんたち四人は、五重塔のある最勝院を探険することにした。

 青空にくっきりとそびえ立つ五重塔。歴史の街弘前のシンボルである五重塔を右手に見ながら、坂を登っていくと左手に十五段ほどの石段がある。この石段を登り切った所がちょっとした広場になっている。

太子堂発見!

 奥まった所にあるのが、太子堂だ。杉や松の木に囲まれひっそりと佇(たたず)んでいる太子堂。高さが五メートル程で、四方に屋根を備えた小さなお堂である。

 周辺に同じようなお堂がいくつか並んでいる。太子堂と書かれた石碑の近くに説明の看板が立っている。りえちゃんたちは近寄って読んでみた。教科書に書いてあったのと似ているようなことがあった。

などである。

 前面の石碑には、大きな字で聖徳太子堂と書かれている。最勝院の社務所を訪ねたら、運良く住職の布施さんがおられて、お話を伺うことができた。次は最勝院第三七世住職布施さんのお話からわかったこと。

太子講は職人の会

聖徳太子が祀られるようになったのは?

 はっきりしないが、聖徳太子は建築・土木をはじめ、いろいろな文化を積極的に取り入れた。それが人々の心に深く残り、学問や技術を学ぶ人々の目標として、また、守り神としてまつられるようになったということらしい。

 太子堂の近くには仁王坂がある。古い石段が続き、由緒ある最勝院の歴史を偲(しの)ばせている。

(1997.6.1)

このページは2000年頃に天内純一氏が作成したものです。
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