弘前天満宮を訪ねて

平安時代と弘前

「平安時代に関係あるものって、弘前にあったかしら?」

ユミちゃんに聞かれて、みんなは首をひねってしまった。

「十円玉の裏についている建物が確か昔のものだとか・・・」
と言うジュンちゃん。

「平等院鳳凰堂でしょ。確かに平安時代の建物よ。でも、お金って絵がある方が表なのよ。」
とお母さん。何だか話が別な方にいってしまいそうな雰囲気。

「平安時代といえばなんといっても藤原氏だ。佐藤・伊藤・後藤・加藤とか名字に藤のつく人は藤原氏に関係あるという話を聞いたことがあるよ。」
お父さんは、物知り顔で言ってみたが、本当かどうかと言われると全然自信がないらしい。

「青森のねぶた祭というのは、平安時代に坂上田村麿が蝦夷と戦う時につくった灯ろうが始まりだそうよ。」
とお母さん。でも、坂上田村麿は実際には青森県に来ていないということなので、言い伝えにすぎないようである。ただ、坂上田村麿が創建したといわれている神社が県内にたくさんあるのは確かである。

菅原道真と天満宮

 追風門広場の図書館に出かけて行ったユミちゃん。平安時代のことを書いた本をいろいろ調べているうちに、「天満宮に神様として祭られた菅原道真」というところを見付けた。

 学校で勉強したことによれば、菅原道真は藤原氏と並ぶ有力な貴族で、遣唐使の廃止を決める時などに大事な仕事をしている。遣唐使の廃止によって、ひらがな文字が発明され、日本風の文化が目覚ましく進歩したのである。「たしか天満宮が弘前にもあったのじゃないかな?」そう思ったユミちゃんが近くにある市の観光館で調べてみると、禅林街の近くにあることがわかった。

家族で弘前天満宮へ!

 天満宮は西茂森町の静かで落ち着いた所にある。西北の方に岩木山が美しくそびえ立ち市内有数の景勝地にもなっている。境内には、数多くの石碑や句碑が残されていて、弘前市の人々に長く親しまれてきた場所だということがわかる。

 境内にある案内板を読むと、開祖は菅原道真の末裔(まつえい)にあたる大行院栄尊という方であることがわかった。一五九八年に南郡の大根子村に祈願所をつくったのが始まりらしい。

 社務所には学問の神様ということで、勉強がよくなるようなお守りがたくさんあった。

発見!推定樹齢三百年のシダレザクラ

 ジュンちゃんやタカちゃんが遊んでいるブランコのそばに、弘前市の保存樹木に指定された古い木があった。天満宮の盛すいを見つめてきた木だと思うと不思議な気持ちになった。 また、境内には国会議員をつとめた島口重次郎先生の顕彰碑が建てられていて、お父さんとお母さんが驚いて読んでいた。

「坂上田村麿が創建した神社」も探してみたいな・・・ユミちゃんは次の探険をとても楽しみにしている。

(1996.6.11)

このページは2000年頃に天内純一氏が作成したものです。
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