「弘前には鎌倉時代のことがわかるものはないのかな?」
社会科の時間が終わってから、ヒロ・ハル・ノブの仲良し三人組が集まって話をしている。 源頼朝が鎌倉に幕府を開いたこと、全国に守護・地頭がおかれたこと、元がやってきたことなど・・・。どうも弘前市には関係ないようである。
「うちのお祖母ちゃんが、津軽地方にある『もっこ』という子守歌は元という国がとても怖くて作られた歌だといってたよ。」と、ヒロちゃん。
「でも、山に住む化物のという説もあるみたいだよ」と、ノブちゃん。
「たしか、この間宵宮(よいみや)をやった貴船神社は源義経と関係があるんだよね。」ハルちゃんが、大事なことを思い出した。(くわしくは四月二七日の記事)
考えてみると鎌倉時代と関係のあるものはいろいろありそうだ。
学級文庫にある「青森の歴史」という本を見るといろいろなことがわかった。
このころ安東氏が鎌倉幕府から蝦夷管領(えぞかんれい)に任命され、津軽一帯を支配した。
安東氏は十三湊を本拠地にして、なんと全国各地と貿易した。朝鮮からも船がきていたというからすごい。
びっくりすることは他にもあった。
A先生がやってきて
「禅林街にあるお寺、新寺町のお寺、全部鎌倉時代の仏教をもとにしたものなんですよ。お寺におじゃまして,鎌倉時代の仏教のお話をうかがってみるのもいいですよ。」と、教えて下さった。
次の日の日曜日,ノブ・ヒロ・ハルの三人は待ち合わせて新寺町探険に出かけた。ここは二三ものおてらが並んでいるが、そのうちの二一寺が鎌倉時代に始まった浄土宗・浄土真宗・法華宗である。
仲良し三人組は、ヒロちゃんのおじさんが住職をしている天徳寺を訪ねた。
四四代住職の相馬さんが、新しい教えを広めた法然(ほうねん)についてくわしく話して下さった。法然の仏教はとてもわかりやすく、戦いに疲れた鎌倉時代の民衆の心をとらえたのである。
法然の絵がある大きな仏壇を見ながらお話をうかがっていると、鎌倉時代に苦労して浄土宗の教えを開いた法然の偉大さがわかるような気がした。
三人は、相馬さんに質問して他にもいろいろなことがわかった。
「どうして坊主頭なのか」「線香をなぜたくのか」など・・・・
「禅林街を訪ねて、他の鎌倉仏教の話も聞いてみたいな」
「安東氏のことを調べるのに十三にも行ってみたい・・・」
三人とも夏休みの探険をとても楽しみにしている。