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初めに、御船くん、新企画ありがとう。いつもお世話様です。 上田くんの小説、題名「ステンバイミー2」の深い意味、みんなわかったかなー。 映画にもなった「Stand by me]ではなく、「Stain by me」 だろうと思ったのだが・・・。stain = 汚点 に引っ掛けての深い意味があるのでは?と私は思った。上田くん、違う? で、この話はあくまでフィクションですよね。アオヒゲもハイエナもダンヒルもそして登場するすべての人達も・・・。あまりにもぴったりする実在の若い頃のその人がいるのが不思議ですが・・・。軽犯罪法としては時効ですが、まあギリギリのフィクションとでも言いましょうか?そこんとこみんなよろしくね。 今後、第二・第三の小説が出るかもね。楽しみです。 |
御船君、更新いつも更新ありがとうございます。 久松君、懐かしい資料ありがとうございます。 旧校舎の画面に見入りながら思わず「白熱の気」と「校歌」を口ずさんだのは、私だけでないような気がします。 上田君、力作ありがとうございます。 登場人物?謙三君には負けるけど、こみ上げるくるモノがありました。青春って馬鹿馬鹿しいほど可笑しくて悲しいね。 謙三君、泣かせてくれるじゃない。青ちゃんはホントに不思議な人ですね。私もまた一緒に馬鹿言いながらお酒呑みたくなってしまいました。 ちょっぴり悲しく、だけどほのぼのとした春の朝です。みんなありがとう。 追伸 春爛漫の深大寺をコヤナギとビール片手に散策してきました。東京はひとあしお先の桜満開です。 豹柄(黒の塗装に花粉で模様がついてしまったのだ)の車でドライブも。残念ながら渋滞で華麗なるドライビングテクニックはお見せできませんでした。 古〜い友ってホント癒し系ですね。心が温かくなって帰ってきました。 |
御船君、酒東校歌と「白熱の気」のホームページへの貼付けありがとう。 私もHPにサウンドファイルを載せた経験があるので、音を鳴らすための MIDIの設定が面倒であることがよく分かります。 本業とスイミングで大変忙しい中、ありがとうございました。 ところで、上田君の力作を面白く読ませてもらいました。登場人物が誰だか 何となく分かるだけにリアリティとユーモアがいっそう増して、高校時代が 鮮やかによみがえってきた思いがしました。 自由奔放さを受け止める空気が満ちていたよき高校時代に乾杯! 最近面白かった本は、堀切川一男著「プロジェクト摩擦!」(講談社)です。 同氏は東北大教授で摩擦・摩耗の専門家であるが、山形大学の助教授時代に 取り組んだ県内企業との共同開発の数々の成果を紹介した内容です。 専門的な記述も小説を読む時の勢いとインプットをもたらす鮮やかな筆致に脱帽! もう一冊、「日本村100人の仲間たち」(日本文芸社)もオススメです。 「もし世界が100人の村だったら」の日本版ですが、書店で10分の立ち読みで 「読破」できるからぜひお目通しを。残念ながらHPには載ってませんでした。 |
上田氏編集の「ステンバイミー2」を読んで、思わず、泣き笑いになってしまった。 当時(今もか?)超進学校である酒東に於いて、あんなにも自由奔放、そして、変幻自在な高校生活を送っていた奴らがいたんだ! 俺もそんなことなら勉強ばかりしてるんじゃなかった。(ウソ) そして、笑いよりも泣けてしまうのはなぜだろうか? それは、とりも直さず青ちゃん(青塚)の存在に他ならない。 皆さんも、うすうす誰が誰とはわかっているかとは思うが、あの頃の彼が眼前に蘇り、活き活きと動き回っている。その一挙一動が昨日の事の様に蘇る。 そして、俺達の中にずっと、ずっと、今も生き続けている。あの頃のまま。 絶対、忘れない。 くやしいけれど、君はもう年をとらない。いつも若いままだ。 でも、君の事を思い出す時は、俺もあの頃の自分にかえるよ。 そして、いつかまた一緒に酒を酌み交わす日を楽しみにしている! 上田、ありがとう。 |
今回の更新では新たに「音」が追加されています。 もちろん久松君からの提供で新たな試みです。 「音」の実装は、画像とはだいぶ取り扱い方法が違うことを知らされ、勉強になりました。 ホームページを更新するたび、つくりはどんどん簡単になっていくような気がします。 なんといいますか、だんだん定型的なものを省略してなあなあの雰囲気に堕しているのではないか?、などとも思います。 誰も気にしないところで妙に凝って時間をかけるのも無駄ですが、訪問するたび「しょうがないなあ?!」というホームページも心地よくないわけです。 なじみ深いホームページとはどんなものか?、ご意見下さいね、よろしく。 |
みなさま、お待たせでございました。 ホームページ更新しましたので、ここに直行してきた人は見てやって下さい。 上田君の小説も掲載しました。カラフルなタイトルも上田君自作です。 「病気自慢」 私は昭和53年来スギ(ヒノキも)花粉病です。 今回でたしか25年目になるので、夫婦でいえば銀婚式規模の長いつきあいですね。 例年2月中旬より4月末まで雨の日以外窓を閉ざす暮らしかたになります。 昨日は久しぶりの雨だったので窓を全開し、とてもすがすがしい気持ちで掃除が出来ました。 今年は桜が2週間早いので、花粉の方も早く終わることを切に祈る日々です。 |
誤:ハウスシック症候群 正:シックハウス症候群 ※最近この手の間違いを頻発するようになった。 いつぞやも「救急救命士」を「救命救急士」と確か書いた。 ボケは確実に忍び寄っている。(トホホ) |
謙三くんの病院レポートを読んで、なんだか病気自慢をしたくなった。 私は一見健康体なれど、幼少の頃からやっかいな病気を持っていた。 その1つが、まだその名もない頃の「アトピー性皮膚炎」。就学前はちんちんのまわりは湿疹、耳の付け根はいつも切れていた。野崎くんの御尊父の皮膚科にはよく通ったが、子供にとっては怖いドクターだったので、途中で他の皮膚科に移ったことを覚えている。常備薬は「レスタミン」という抗ヒスタミン剤だった。家族が心配して、結局祖父と祖母と3人で蔵王温泉に10日間、湯治なるものを初めて経験した。硫黄温泉は皮膚には刺激的で痒みが薄らいだ。それよりも物心が付いていない頃に湯治なる「人生の洗濯」を味わったことが、後の人間形成に大きく影響してしまったような気がする。今でも「玉こんにゃく」と「ずんだ餅」を見かけると「極楽、極楽」と声に出したくなるほど蔵王温泉の黄金の日々を思い出す。 お陰で小学校、中学校は比較的平穏な日々を過ごせた。ところが酒東に入学してから、再発してしまった。原因は後々になって分かったことだが、まだその名もない頃の「ハウスシック症候群」。ちょうど70年に自宅が新築して勉強部屋なる自分の部屋をあてがわれた。しかしどうも目がチカチカして落ち着かない。しまいには顔と頭皮に湿疹ができて痒みがひどく、お勉強どころではなかった。学校には額によく包帯を巻いて登校した。まったくもってステロイド軟膏が離せない高校時代だった。結局、部屋の壁紙に使った接着剤のホルムアルデヒドが原因と分かったのは「ハウスシック症候群」なる言葉が世に出てからだった。 うちのカミさんは小学校からずっと慢性の副鼻腔炎(蓄膿症)である。よく「蓄膿がなかったら私はもっと勉強していた」と自慢ともつかぬ言い訳をいう。かくいう私も負けじと「アトピーがなかったら高校時代もっと勉強していた」と応酬する。人生いろいろだが、うちの夫婦は病気自慢の点では結束がかたい? |
あっちの話題、こっちの話題、いろいろ気になるところなのですが。 ‘手術室の信実’わかります。 中学生の時、酒田市立病院で経験しました。 手術という程のものでもなく、勿論その時の話題は、自然薯じゃなかったけど。 そして、ちょっと違うのは、手術室の雰囲気。 「うっ! 肉屋さん!!」と、あの時はホント怯えました。 話は変わって、明日は、花京太とお花見デートです。 嬉しいな〜。 ここだけの話ですが、彼女は暴走族御用達の車(例の七つ道具搭載の車です)で、八巻をなびかせてやってくるらしいです。 その姿を一目見たい人は、是非ご一緒に。 但し運が悪かったら(良かったら?)、チャリで疾駆する花京太を目撃できるかも… 花京太ん、ごめ〜んね。 |
正・・・・御船氏 誤・・・・三船氏 失礼致しました。 |
叙情詩「ステンバイミー2」を三船氏に投稿してから、結構な日数が経っていたので、これはあまりにも内容が稚拙で、倫理委員会から没にされてしまったと思っていました。今日掲示板を開いてみたら、今週中にはボカシ無しで公開との事。 倫理委員会の度量の大きさ・寛大さに深く感謝申しあげます。 また、これが掲載になった暁には、俺も書くという約束をしてくれた某氏がいますので、皆さんそちらの方も楽しみにしていて下さい。それでは、バイチャ。 |
正: ...、一寸の光陰軽んずべからず」 誤: ...、一寸の光陰軽んずべらず」 蛇足: 日曜日に久しぶりに依頼があり、占いをしてきました。 依頼主は妙齢の女性x2、相談内容は多々。 そういえば占いシリーズも近ごろご無沙汰なのですが、来週あたりと考えています。 |
ここにきて、樋口君が参加してくれてとっても嬉しい限りです。 私も一年の時はゾロ組でした。前に松浦君、後ろに矢野君がいた覚えがある。 要するに入学時はあいうえお順だった。 ちなみにこの組で早弁を一番早く見つかったのはたしか私です。 >ところで、御船くん、上田くんの小説掲載はどうなった? いやー、またまたお待たせです。 上田くんの小説は僕らがまだ20代だったらけっこう生々しくてやばいかな?、という感じですが、あれから30年経ったわけだしまあ時効だろう、ということで今週中には削除墨入れなしの全文で掲載させていただきます。 その前に久松君の音楽があり、やはり先着順だろうなどと思案投首しているうちにこんなにたってしまった。 「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべらず」 これは自己批判の座右の銘。 それでは、上田くんの小説「ステンバイミー2」、お楽しみに |
樋口くんいらっしゃい。これから大いに「掲示板」に参加して下さい。当時の編集部長、本間久貴くんは神奈川と酒田で学習塾を経営する塾長さんです。 本間くんも是非、参加して下さい。 さて、皆さんは手術室の実態というものを御存じだろうか? たぶん、手術室に入った経験のある人はかなり少ないと思います。 私の入院した病院の手術室は、壁と天井が淡いグリーンで統一され、そして、穏やかで軟らかいクラシックの音色が流れ、誰しも安心する様な雰囲気を醸し出している。「ここで手術してもらったら、ちっとも恐くないの。」みたいな。 私自身は全然「恐がり」ではないので、断末魔の地獄絵図が掲げてあろうが、「エクソシスト」の曲が流れていようが、「ドンと来い!」だ。 前回の手術の時は前日、痛みでほとんど眠れず、下半身麻酔だけで簡単に熟睡してしまった。今回は睡眠たっぷり、気力も充実していたので、絶対、手術の成りゆきを見届けようと思っていた。 腰のあたりにカーテン状の布で仕切られているので、見ることはできないのだが、何となく進行状況はわかる。 医師3人(執刀医1人)、看護婦2人という構成で手術は行われた。 皆さんは「手術」という行為が、整然とシステマチックに遂行されるものと思っているでしょう? 違います!!とんでもない事実を明らかにします! なんと!人の足を切りながら“雑談”してやんの!! 以下、再現します。 「S先生、今度の土曜日の回診当番、M先生と替わってもらいました。“自然薯の会”があるものですから。」「自然薯の会?」「ええ、九州から送ってもらった山芋を囲んで、勉強会というか、まあ、飲み会なんすけどね。」「へえ〜、いいねえ。あっ、それじゃなくてそっちの、そうそう。」(何?なんだよ?メスと包丁、間違えたのか?)「で、おいしいの?」「そりゃ、もう全然違いますよ!擦るとモチみたいになるんですよ。」「へえ〜、いいねえ。あっ、そこは、こっちの方からやるから、うん、そう。」(何?どーなってんだよ?) 確かに、内臓や脳の手術とは違い、技術的には簡単な部類かもしれない。 事実、私も「そんなもんなんだな。ま、いっか。」と思ったんだけどね。 これを病院用語で「雑談安心法」と言う。 |
樋口君、お久しぶりです。1−5ゾロ組でいっしょだった太田京子こと花京太です。樋口君の酒東時代の髪型は少しウェーブがかかった7-3でした?違ってたらゴメン。 記憶の糸を辿って‘こんなイメージの人だったかな?’って想像する事って楽しい。(会うと全く違う人になってたりする事も多いけどね)今後の活躍(掲示板上での)期待してます。 つよPさんの言う通り思いがけない出会いはHP掲示板サマサマですね。 私とコヤナギはお陰様で30年の時を忘れて、カゲ・ヒナタのお付き合いを再開させていただいてます。今度は深大寺で「花見で一杯」を計画中で〜す。 |
そうか、しばらく外国にいたんだ。47会本部でも住所不明だったわけだ。 しかし、こうして連絡ができるようになったのは最高の喜びです。 ホームページ様様だね。 それにしても、過去ログ全部見ての書き込みとみた。あんたはえらい!! そう、こうやって参加してくれる同期生がもっともっと増えてほしいと願う事務局です。 ところで、御船くん、上田くんの小説掲載はどうなった? |
久松さん、ありがとうございます。酒東では、最初1年5組でした。第2体育館(旧道場)の後ろの教室であったと記憶しています。そのころの4組、6組も同様の場所と思います。 したがって、1年当時の4組から6組、3年4組の同級生は顔と名前がある程度一致します。それから本間部長の下、名前ばかりの副部長で編集部におりました。いつも、今ジャカルタにいる堀美彦氏と桜の木の卒業記念写真現場のとなりの場所で軟式テニスをして時間を潰しておりました。それで新聞の編集はあまり得意ではなかったと思います。編集部では成澤信之助氏が、既にそのころから、世相を批判的に鋭く斬る記事を載せており、「これはただ者ではないな」と思っておりました。やはり、ただ者ではなかった。 3年4組の教室の後ろに中庭と池があり、授業中そこで、つりをしていた連中で私はその一人です。 それ以後は、タイムスリップ状態ですが、皆さんにお会いした際にと思います。 現在、監査法人トーマツに勤務しております。脱サラ以後18年になります。監査法人とは何かは一言では説明できませんが、参考までにインターネットで検索して下さい。同業に小松氏がいるようです。 新橋はよく飲み歩いている場所です。「鳥海」には是非伺おうと思います。 宜しくお願いいたします。 |
樋口君からみなさん宛にうれしいメールが届きましたので、ご紹介します。 今年の8月の同期会には、ぜひ出席してもらいたいと思います。 ******************************** 突然メールいたしますが、上記卒業年度で3年4組にいました「樋口義行」です。 たまたま、本日日曜日ですが、オフィスで事務処理をしておりました。別の情報を 検索していたところ、なんと、懐しい「桜の木の下の卒業写真」・・・・ もしかしたら、私も写っているのではと思い、アップにしたところ、私、皆さんの 懐しい顔がいるではありませんか。 恥ずかしい話ですが、そこで自分が47回の卒業生であることが判りました。今ま でに海外に行っていたこともあり、同窓会等には参加しておりませんでしたが、 是非次回よりお声をお掛けていただけますでしょうか。宜しくお願いします。 現在は、監査法人トーマツに勤務しております。 ******************************** |
久しく行方不明になっていた「ぷよぷよ」と再会できた嬉しさで、出遅れてしまいました。 あのとぼけた目がなんとも言えず・・・ じゃなくて、 亀ヶ崎はいい加減田舎だと思っていましたが、紙芝居は来ました。 光ケ丘には勝ったね、花京太。 小学校の低学年の頃は、最上川に一部ロープを張って、遊泳場にしていました。 信じられない? 全くです。 保護者同伴で数回浸かった記憶があります。 そして流され、港で救出されたーーー違います。 少し大きくなって、中学・高校の頃は、渡し舟に乗って宮之浦方面にお出かけしました。 自転車の篭に、当時飼っていたワンコを乗せて。 臆病な犬だったので、相当迷惑な事だっただろうと今は反省しています。 渡し舟に乗るのも好きだったのですが、その先の海、これが良かったのでした。 誰も居ない砂浜で、ホケーッと。 暗いやつだったんですねえ。 |
加藤は、「今町の夕日」を知らない。 何故なら、日比谷高校同窓(酒東じゃない)の、大蔵官僚「売国奴」こと、榊原英資を登用し、結果、つるんで円売り=日本売りを仕掛けた張本人だからだ! 加藤はついこの間まで、榊原に“洗脳”されて150−160と全国行脚していた。 10年程前に亡くなった伯母は、曾祖父の親友だった中村ごろや(中村君のところ)に一生を捧げた(私はそう信じている)。 その伯母は、自宅のではなく、毎日毎日「風呂屋さん」に通っていた。 私が連れられていく時は、必ず「どんじょ屋」で駄菓子やアイスクリームを買ってもらったものだ。 桜井の想い出は、私の想い出でもある。 ついでに、その近くには「マルエス」(ご主人は足が不自由)があった。 私も、新聞紙に包んだ「ぶりこ」の味が懐かしい。 吉泉さんのお父様は、私の中学時代の恩師だ。 私が帰省してご自宅を訪問する道すがらには、何故か「マルエス」のさびれた広告看板があって、これを認めた時「ああ、我が故郷に帰ったんだな」と思わせる。 桜井のところから、次に私の自宅前にやってくる「紙芝居屋さん」は同じ人。 毎日、するめと飴をなめてたなあ!かぎっ子だったから。 昨日、鈴木が涙を見せたのは、いつのまにか故郷の根室とダブってしまったのかも知れない。 生んだのは故郷でも、「代議士」になったからにはもう、「お国」の人でなければならない! 「創造的自主人よ、裸体にて太陽(=今町の夕日)の眼前に立て!」と叫びたい。(高校卒業の時、我等をこう叱咤してくれて、先週お見舞いに伺った大大恩師の言葉) 追伸 謙三は入院して強くなったなあ。 |
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